和傘について
和傘についてのあれこれ
和傘についてのあれこれ
古くから日本にあるものですが、意外と歴史や構造についてご存じの方は少ないと思います。ここでは和傘の概要についてご説明します。
・和傘の歴史
日本書紀によると、百済の使者達が渡日本に渡った際の外来品に、蓋(きぬがさ)が含まれており、この蓋こそが、日本の「傘」のはじまりだったと言われています。しかし、この時に渡来した蓋は、雨が降った時にさすためのものではなく、日傘として使われていました。また、閉じたり開いたりすることはできず、常に開いたままでした。
当時の貴族にとって、傘は権威の象徴であっただけでなく、魔除け効果があると信じられており貴重なものでした。
その後、江戸時代に入ると、製紙技術の向上や、竹細工の技術を取り入れたことによって大きく変化を遂げます。現在、一般的とされている開閉が可能な傘は江戸中期頃に作られるようになりました。
歌舞伎の小道具として使われるようになったり、医者や僧侶が使用するようになったりしただけでなく、一般の人々にも幅広く普及しました。関西から江戸、全国に伝わったのち武士の内職としても製造されていました。
この頃の美人画には、江戸美人が和傘を持ち微笑む姿が多く描かれているのが特徴です。持っている和傘を見るだけで、その人物がどのような身分であるかが分かるとされていたほどです。
しかし、庶民の日用品として日常的に使用されていた和傘も、明治以降は時代の移り変わりと共に徐々に使用する機会はもちろん、目にする機会も減ってしまい、現代では伝統工芸品といったイメージの特別なものになっていきました。
・和傘の主な生産地
現在の和傘の生産地トップ3は、岐阜県、石川県金沢市、京都府です。この3県以外にも、みま傘で有名な徳島県、伊賀傘で有名な三重県など、さまざまな地域で和傘が今でも生産され続けています。
・和傘の構造・工程
洋傘の骨組みは6本または8本が多いです。一方和傘は、少ないもので16本、多いものでは48本の骨組みで作られている場合もあります。骨組みの数を見れば一目瞭然ですが、構造上は和傘のほうが丈夫であるといえます。
和傘の骨組みには和紙が張られているため、多くの方は洋傘に比べて雨に濡れて大丈夫なのか?壊れやすいのでは?というイメージを持たれているのではないでしょうか。イメージとは裏腹に、実際の和傘は非常に丈夫で、和紙の上から油を塗っているため、雨で濡れるほど丈夫で固くなっていくのが特徴です。濡れて、乾かして、を続けていくと耐久性が増していくのです。
和傘は、昔は十数人の職人で分業することでひとつの傘を作り上げていました。しかし現在は、和傘職人の数が激減しているため、すべての工程を一人の職人が行うことが増えています。和傘作りは、「骨組み」からはじまり、「和紙張り」、「色・漆塗り」、そして「仕上げ」という大きく4つの工程で進められます。